思い立ったが吉日 それ以外は凶日
「あ〜、もうそろそろいいかな。」
そんな言葉が心の底から口に出たある日ある夜。そこからの自分の行動は早かった。
家の中から有効期間残り少ないホコリの被ったパスポートを発掘し、3年半前に行ったときより価格が2倍くらいになった航空券とホテルを予約、ワクチンは「無料でもらえるものはもらっとけ〜」という貧乏人思考により早々に4回接種していたので接種証明を確保。出立する1ヶ月前にはすべての準備が整っていた。以前に韓国に行ったとき出立する2日前にホテルと航空券を購入したことのある私にとって異例であった。
https://paseli-tennokoe.hatenablog.com/entry/2021/10/26/013009
最後に海外に行ったのはちょうど3年前、2020年の2月であった。
あれから3年間が経過し私及び私の周辺環境は大きく変化していた。某ウイルスにより大学入学当初から企てていた中国への留学の夢はあえなく散り、いざ就活をしてみたらご縁があったのは地元ではなく西側の都市。そして推していたコンテンツはサービスを終了し今では『先生と自称するプレイアブルキャラクターを操り透き通るような世界観の青春ストーリーを繰り広げるソーシャルゲーム』に精を出す。

この間に様々な場所を巡った。日本でまだ未踏であった沖縄や山陰を踏破し晴れて47都道府県全県制覇を成し遂げた。そして今まで行ったことのなかった観光地を巡った。
「旅行好きにとって旅行は生命線だ」
そんなことを大学時代につるんでいた旅行サークルの先輩が言っていたような気がする。
私はこの災禍の中でも旅行を続けた。しかしいくら日本国内を旅行したところで満足させることのできない領域がある。
それは異国に行ってしか味わうことのできない感覚だ。私はこの感覚をどうにかして味わおうと国内のあちこちを旅行し、国内に点在する異国料理店を回った。しかしその結果は「感覚として感じることはできるが満足することはない」。

すれ違う人は自分とは違う顔をしていて耳に入ってくる言葉は自分の聞き慣れない言語、そして口にする食物は自分の生まれた頃から食べてきたものとは違うもの。幼稚な表現で大変申し訳ないがワクワクと少しのスリル。これはいくら国内を旅行しようが味わえない、満足できない感覚なのだ。
私は欲していた。その感覚を。そしてその欲する期間が長すぎた。
年が明け、テレビをつければニュースに流れてくるのは「解禁」の文字。ツイターのタイムラインを見れば「解禁」の文字。それを見ていた私の口から思わず出た言葉が序盤の言葉であった。
この記事は3年ぶりに海外に行く20代男性が海外にまで行って日本と同じようなことをするというどうでもいい記事です。
2/12 -1日目

私は東京・池袋にいた。この日は元バイト先の先輩と鉄道模型の運転会を開催した後、池袋にて会食という予定だった。池袋で何を食べようかという話になったところで
「池袋に美味しい台湾料理店がある」
という話になった。とりあえずなすがままにその店へ向かい、蒸し鶏や空芯菜の炒め物などをつまんでいたがここで私の心にふとした気持ちが去来していた。
「もうそろそろ、良いんじゃないのか」
3年間の我慢がこんなところで吹っ切れるとは私自身思いもしながったが我慢というものはふとしたところで途切れてしまうものだ。
私は帰宅すると同時にパスポートを用意し、数日間航空券サイトを周回、最安値の時期と時間帯を見極め航空券とホテルを購入したのだった。
3/16 0日目
私は現在住んでいる西の町から東京へとやってきていた。理由は他でもないこの日日本を発つためだ。
今住んでいる街はいわゆる三大都市圏の中の一つでありもちろん近くに国際空港もある。なぜわざわざ東京を使うのか?
それはその街から出発の航空券の値段が高く、また便数も少ない、そして時間も悪い。これでは効率の良い旅行ができない。
そう考えた私はあえてその街から東京へと向かい、東京を出発地とする海外旅行をすることにしたのだった。実家で晩飯と風呂を乞食するためではない。断じて。

深夜の羽田空港に降り立つとそこには数多くの異邦人や日本の若者がいた。なるほど海外渡航の自由化により国際線も繁盛しているようだ。
私は到着ロビーのベンチの一角に陣取り自分の乗る便の搭乗手続き開始を待つことにした。
午前3時 搭乗手続き開始。カウンターの列には私以外日本人が見当たらない。皆中華民国と書かれた緑色のパスポートを持っている。
私の乗る行き先にはこの時間帯2つの航空会社が運行しておりその時間の差は私の便が1時間早く現地に到着するというだけ、価格帯もそう変わらない。そして私の乗る瓶を運行する航空会社は現地の航空会社であり、あとに出発する航空会社は日本の航空会社である。
自分は貧乏性でできるだけ早くに着いてさっさと入国して現地を満喫したいという気が強いが若者方は多少遅くても機内やカウンターで日本語が通じるほうがいいのだろう。その便のカウンターには日本人の若者が大挙して並んでいた。
保安検査を通過し出国審査を受ける。ここを通過するのに一時間以上かかったという話を先駆者兄貴から聞いていたが私の場合は10分もかからずに通過してしまった。早朝便利用の特権である。

3年ぶりに使用するパスポートとそこに押される『出国』の文字。感動が込み上げてくる。
そのまま搭乗ゲートへ。
すぐに搭乗、というわけにもいかず到着機遅れによる搭乗開始待ちが発生 そう何度も国際線に乗った訳では無いがこの状況には慣れてる。気長に待とうじゃないか。

さて、今夜私がいただくのは、タイガーエアA320neoです。neoの文字がかっこいいわね。
往復45000円(うろ覚え)以前往復10000ポッキリで台湾に渡航した経験があるのでうお…高…となるが仕方がない。そんなことで動機が揺らぐほど私の心は軽くない。
適当に押し合いへし合いして機内へ。LCC特有のレザーシートに腰を下ろし、心を落ち着ける。
深夜便ということと、台湾に着いたあとしこたま動く予定なので足元広め+窓側を指定して多少の追加料金を払ったが後日同じ飛行機に乗ったところ普通の座席でもそんなに苦労はしなかったので追加料金は必要なかった気がする。気がするだけ。
足元広めの座席を取ったということはそこは非常口座席、つまり非常時は乗客の避難を手伝うことを同意したうえでそこに座ることを許されるのは周知の事実だが…周知の事実ですよね?周知の事実ってことにしときましょう。機内でもその説明書きをもった客室乗務員が座席に来てくれ、説明をしてくれる。しかしあまりに日本人がいないからか、もしくは私が現地人のような顔をしているからか、初手クソ早口現地語詠唱をされて「???」みたいな顔をしてしまった。一応少しの会話と読解はできるが早口で言われたら理解が追いつかない。そんな顔をしていたら「日本人デスカ?」そうだよ(便乗)日本語の説明書きが出てきた。たすかる。
ドアが閉まりまもなくしずしずと飛行機が動き出す。ここ数年間で国内路線にそこそこ乗ってきたので大きな感動というものはないものの、機内アナウンスで流れる日本語英語以外の言語など「あぁ、海外に行くのだな」という感動がある。
20分遅れで羽田空港を離陸した飛行機は南西に進路を取り10分の遅れを持って台北桃園国際空港へと着陸した。機内では爆睡を決め込んでいたので何も覚えてない。
3/17(1日目)

入国審査場は早朝のため空いており、難なくクリア。預け荷物もないのでものの15分ほどで入国だ。
4年前に利用したときとほぼ同じのターミナルを見回しながらまずは台北市内へと向かう列車に乗り込む。

たいせつがギュッと ではない。
コロナ禍による需要減に対応したからだろうか、車内の座席は一部が取り払われており、着席定員数が減っていた。そのせいで座席に備え付けのテーブルを使うためには座席に着席できないという状況が発生する

遠すぎ!!!!
車窓をぼーっと見たり車内で流れる日本行こうぜ!!!!みたいな広告を流し見していると台北駅へ到着した。
まずは国鉄の駅へ向かいこれから数日間利用するフリーきっぷを購入する。

新幹線は使えないけど7500円くらいで3日間特急乗り放題になるやつ。台湾を大移動するならオススメ。ただ元から台湾の鉄道は運賃がクソ安いので元を取るのはけっこう大変である、このときも取りきれたか微妙だった。
さて旅の準備を整えると腹が減ってきた。昨晩羽田で食べた軽食以降何も口にしておらぬ。渡航する度に訪れていた駅近くの食堂が健在であることを願いつつ向かうとそこに果たして健在だった。

これですよこれ。こういうのでいいんだよこういうので。
四海豆漿大王
https://maps.app.goo.gl/rtD6QZwthmHUgAJs8
腹を満たし早速線路側へ赴く。
今回主題となる被写体はDR2800型と呼ばれるディーゼルカーだ。

1982年に東急車輛製造にて造られた車両。前面形状や側面のコルゲートなどビビッと刺さる車両。それがこの2023年のダイヤ改正で引退と聞いたのでこれの撮影に来たわけだ。
ディーゼル特急車両なので以前は非電化区間を走る特急の運用に入っていたが、この頃には非電化区間が減ったので台北近郊の区間運行になっていた。
まずは台北近郊の駅にてその姿を拝む

@汐止站
都会の高架線を車体をくねらせながら力走する姿 ビル群にこだまするディーゼルエンジン音 素晴らしい。
さて、この日の宿は翌日のことを考えて高雄という街に取った。

位置関係はこんな感じ。台湾はだいたい九州くらいの大きさ(個人差はあります)だし西側には新幹線も走ってるので北の端っこから南の端っこまで行くことはそんなに難しいことではない。
難しいことではない
特急に乗れれば
特急で座れれば
新幹線で座れれば
の、話である。
さてここで私が台北から高雄駅までの移動で使った切符をご覧いただこう。

5時間にわたって走行する列車。台湾、意外とでかいなぁというところであるが記載内容を見ると
台北→新營→高尾
無座
と書いている。
つまり台北から新營までは指定座席がありません。空いてる席があったら座ってね。なかったらデッキね。新營からは指定番号の席に座ってね、ということである。
んで新營の場所を先程の位置関係の地図にトレスしてみると

oh...
金曜日ということを忘れていました(バカ)
もちろん座席なんか空くことなく指定座席が空くまで座れず無限にデッキ。週末に帰省する学生さんと談笑したりして飽きなかったけどとにかく疲れた。まあ自業自得です。予約くらいしようね。

着いた
駅前に取った宿にチェックインし小休憩。町に出よう。
私にとって旅行の本懐は街歩きだ。知らない街で知らない風景と出会い知らない飯を食う。これが私に得も言われぬ幸福感を与えてくれる。

地下鉄で一駅分歩いたところに屋台街を見つけた

喧騒の中で飯を食い、道行く人々の話を耳を傾け、目に映る品々を考え、この町を理解していく。

視界 味 音 匂い 感触
すべてを総動員して3年ぶりの海外を楽しむ。まさに夢心地だった。
のち宿に戻り睡眠。翌日に備えよう。
3/18 2日目
街の喧騒で目を覚ます。身なりを整えて宿を出る。
この日はとある特別な列車が走ると聞いてこの南部の町に来た。その姿をひたすらに追う。

@六塊厝站
撮影地に来ると早速台湾における急行列車ポジションにいる莒光号がやってきた。最後尾についてる荷物車がアクセントになってSexy…

この日のメインディッシュ DR2800の団体臨時列車である。
この日は既に電化されてしまった元非電化区間を走る団体臨時列車が施工されると聞いて我慢できずに駆けつけたラフォーレ・O・T(オタク)となっていた。
これを終着駅まで追いかけていくわけだがスジが相当に寝ているくせに列車本数が少ないので列車での追っかけができるわけでもない微妙なやつ。まあ程よく撮ればいいかなと思っていた
とりあえずこれを撮ったあとは食いそびれていた朝飯を食う。

店の名前は忘れた…うまかった。
そのあとは乗り換え先の列車まで時間があるので街ブラ

でか

ドライブスルーで買い物ができる新時代の路上マーケット

売り方がエキサイティング
そうこうしてるあいだに列車の時間が近づいてきたので駅に戻る。

オー新型 日立製です。
回り回ってコイツがDR2800を置き換えているわけだが日本製の車両が日本製の車両を置き換えてる なんか嬉しいね。かっこいいし。
この日も週末だったが前日の間に切符を仕込んでおいたのでちゃんと座れました。

このあたりは台湾の島の中でも最南端のあたりで海沿いをぐるりと回るため風光明媚な区間が続く なお天気 夏場とかに来ればいいんですけどね…
1時間ほど乗って金崙という駅に到着。DR2800の団体臨時列車はこの風光明媚な区間を楽しむためにスジが寝ている。そのため特急列車を使えば何度か撮影ができる。ここ金崙に到着するまでに追い抜いていたのでここでも撮影することに。
列車の通過まで1時間ほどあるのでここいらで昼メシにする。駅から国道の方に坂道を上がると盛況な麺屋を見つけたので入ってみる。

牛肉麺 うまい。こういうのでいいんだよこういうので。
金崙百味佳飯面小吃
https://maps.app.goo.gl/B46BGbbP8rFBPpyP8
さて腹ごしらえも済んだので撮影地へ。駅の東側に線路を望める巨大な橋がある。そこから駅に入線する臨時列車を撮影しよう。

架線柱の向きが惜しいがまあロケーションがいいのでよしとする。天気も曇りだし…
動画回そうとしたけど風が強すぎてやめた。落としたら海に真っ逆さまなので…
この駅で臨時列車は対向の列車と後ろから追いかけてくる列車を待ち合わせするため長時間停車する。駅に戻るとこれから乗る後ろから追いかけてきた列車と臨時列車が停車していた。

このあとの予定があるので臨時列車の撮影はここで切り上げて後ろから追いかけてきた列車に乗り込む。莒光号と呼ばれる台湾では急行列車のようなポジションの列車。昔ながらの客車列車だ。
実はこの莒光号の車内で思わぬ出会いがあった。実はこの前夜、高雄で宿泊したが高雄の郊外にある屏東という駅で同じく台湾のディーゼル特急であるDR3100型という車両の撮影を行ったが、その際に一緒に撮影していた鐵路迷氏一行が乗車していた。翌日の臨時も撮影するとその時は言っていたが…まさかの出会い。終点の台東に到着するまで鉄道トークに花を咲かせた。
台東に到着し、次に乗る新型特急に乗り換える。鐵路迷氏御一行とはここでお別れ。

ここからは花蓮という街まで一気に北上する。2時間ほどの乗車だ。
花蓮からは今回の旅行のクライマックスとしてDR2800に乗車することに。

3時間ほどディーゼルのエンジン音に耳を傾ける。

存分に楽しんだところで八堵にて下車。ここでDR2800とはお別れだ。DR2800は老齢ながら力強いエンジン音を立てて闇夜に消えていった。

お隣の七堵駅へ移動。本来であればここで降りたかったがここにはDR2800は停車しないので一駅移動したわけだ。
20分ほど待つと目的のモノがやってくる。

莒光554次 昼間も乗った莒光号であるがただの莒光号ではなく、荷物車が釜の次位に連結されている。
昔は台湾中で見られ、この車両だけで組成された列車も存在した荷物車だが、今はこうして旅客列車に増結するという形で細々と生きている。しかし途中の駅ではしっかりと荷役が行われており、日本ではほぼ消滅した鉄道荷物輸送がいまだに生きていることを感じる。
この列車はこのまま花蓮の方へ走っていく。本来であればこれに乗ってみたいものだが、この日の宿は台北にとっているためせめて撮影だけでもとここに馳せ参じたわけだ。
数分の停車の間に様々な構図で撮影していると発車時間を知らせるベルが鳴り、22:03定刻に発車していった。

私は台北へ向かい投宿。思えば24時間ほどで台湾を一周したわけだ。
宿に荷物を投げ身軽となると腹が減っていることに気づく。思えば花蓮で乗り換えるときに弁当でも仕入れようと思ったがさすがは人気の台鉄弁当、完売しており空腹のまま台北に到着したのだった。
幸いなことに宿の近くに屋台街があるのでそこへ向かうことにした。

ここは台北でも指折りの有名な屋台街であり、日本人の姿もちらほら見かける。
私は屋台街の中に並ぶ、店先でうまそうな匂いを漂わせながら炒め物をしている一角に吸い寄せられ、そこで炒飯と排骨飯を注文、宿に持ち帰り夕食とした。

春先とは言え気温は20度近く。久々の海外で感覚を完全になくしたため1日じんわりと汗をかいていたがそれをシャワーで流し台湾飯とともに台湾ビールで流し込めばあぁ…来てよかった…と思えるものだ。
こうして2日目が終了。
3/19 3日目
現地滞在最終日となった。前日まで鬼のような移動をしたのでこの日は台北近郊に出かけるくらいに留めておくことにした。まずはホテルをチェックアウトし台北駅へ向かう。

日本のイメージで白川郷…まあ合ってるか。
駅に着いたが乗る予定の列車までまだ時間があったので台鉄弁当を食べる。うまい。
列車に乗り込み東へ向かう。向かうは瑞芳というエリア。有名な十份や猫の村で有名な猴硐があるあたりだ。以前に訪れた時にロケーションが良かったのでまた訪れたくなったわけだ。
三貂嶺駅で下車。ここから歩いてすぐのところに撮影地があるのでそこへ向かう。


山を越えるDLセメント貨物や莒光号、ちょっと古い通勤電車、ディーゼル特急などを撮影しているとあっという間に時間が経って昼過ぎとなっていた。台北市内へ戻ろう。
台北市内へ戻り松山駅から地下鉄を数本乗り換えて向かうは以前から行きたいと思っていた魯肉飯屋。
黄記魯肉飯
https://maps.app.goo.gl/yomfycENdZ4JPre56
ここは日本人観光客にも人気でなんでも台北市内でも指折りでうまいお店だとか。期待値が上がる。
悲しい。
しかし高まった魯肉飯欲は収まることを知らない。どうにかしなければ…(井之頭五郎)
と周辺を歩いていると屋台街を発見。その中に食堂を見つけそこのメニュー表を見ると魯肉飯の文字!助かった…
ついでにワンタンスープも注文し腹に収める。
さて満腹となったところでもう夕方。この日の夜には帰国となるため、名残惜しいが日本への帰国の準備をせねばならぬ。
まずは各位へのお土産用意だ。鉄道好きの友人へ台鉄グッズ、靴好きの会社の先輩へ海外限定のスニーカー、ばらまきお菓子等など…買い揃える。
そんなことをしていると日没。夕食を食べに…行く前にまた少し寄り道。
前夜に撮影した荷物車両が連結されている莒光号は台北では1日2本運行されており、そのうちの時間が遅い1本を前夜撮影した。
ここでは早い時間に走行している1本である莒光653次を撮影する。場所は松山駅。台北市内で行きやすいというのもあるが、ここを選んだ理由は他にある。

ここでは荷役作業が行われる。列車の到着10分前くらいに荷物を載せた三輪車がホームに用意され、列車が到着すると手際よく荷物の載せ替えが行われる。

ン十年前までは日本でもこんな光景が日常的に見られていたのだろうか…
ものの数分で作業は終了し列車は出発した。
さて撮影も終わったので夕食としよう、松山駅の近くには前夜行った場所に負けず劣らずの有名な屋台街があり、そこで夕食とする。こいつ屋台飯ばっか行ってんな。


うまい 煉獄さん状態
満腹に乗ったので駅に戻る
あらやだかわいい
さて名残惜しいが帰国の途につく。宿に預けていた荷物を引き取り足早に桃園捷運台北車站へ。

帰りたくないねえ

帰りももちろん夜行便である。
日本に到着するとちょうど始発電車が動くタイミングであり、そのまま帰宅となった。
3/20 4日目
おいおい 帰国して終わりじゃね〜のと思ったあなた。間違いではない。
海外から帰国して朝からぐーたらと実家で過ごしていた私だが、昼頃に元バイト先の先輩から着信。もちろんこの先輩は先述の先輩と同一人物である。
「夕方から模型を転がすから来い」

ん、おかのした(淫夢厨砂狼シロコ)
というわけで夕方から模型を転がし晩飯をご一緒し帰宅することとなった。我ながら元気である。
というのが私のコロナ禍明け初の海外旅行となった。電車を撮り電車に乗りしこたま飯を食い日本でもできるようなことをする。ただそれが海外で行うというだけのことだが、何にも代えがたい幸福感を感じる。海外旅行の醍醐味を3年ぶりに味わった。
この旅行でタカが外れたようにこの年翌年と年に5回6回と海外に出かける生活となるのだがそれはまた別なお話…
多分、風。

2022/1/30
9380レ 冬の湿原号 DE10-1690+PC@サルルン展望台
季節を連れてくるものは何なのでしょう。太陽?月?朝?昼?夜?
私は風だと思います。春夏秋冬季節の変わり目は風が強く吹き、前の季節を吹き飛ばして新たな季節を連れてきます。
今まさに強い風とともに秋から冬へと季節が変わります。あの荒涼とした湿原の中をゆっくりと進む客車列車が見られるのも冬ならでは。寒いですがなんだかんだ冬という季節が好きなんです。
そしてそんな季節の変わり目に気をつけるのは多分…………
『風邪』。おあとがよろしいようで。
死語!?!?!?

万物「新しい」物事には心惹かれ浮かれるもの。そんな新しいものが好きな人のことを「ミーハー」と呼び私もご多分に漏れずそんなミーハーの一員として音楽や被写体食事その他もろもろにミーハー魂を発揮しているのですがこの言葉を職場の同僚に使ったところ通じずどうやら死語に近いとのこと。齢20代前半にして自分の年齢を意識することとなる。まあハタチ超えたあたりからもうジジイと自称しているわけですが。
エンドの価値ってえのは・・・?

洋の東西を問わず赤い機関車には惚れる人生を過ごしてきたわけですがこの世界の極東ジャッパ~ンにはなんでも機関車の片側ともう片方で見た目が違う機関車がいるそうな。珍妙な機関車があるもんです。極東の考えていることはよくわからんですがそのどちらの全面で撮るかで国内紛争も起きているんだとか。
どっちのほうを良しとするかは各位にお任せしますがどっちでも良しとできる写真を撮る腕と広い心を持ってこそ現代人というもの。
「𝓓𝓲𝓿𝓮𝓻𝓼𝓲𝓽𝔂...」
思い出せない列車とEF81

トワイライトエクスプレスという列車がまだ健在な頃、私は札幌駅でその姿を見ているんだそうな。ただ脳内の記憶を探してみてもその姿は出てこず、京都某所で見る客車の色には違和感を抱くばかり。私の件の列車の記憶は引退とともに走り去ってしまったのでしょうか。わからん。



